3月9日(月)
祇園の某フレンチ懐石にて、ボルドーの超有名ネゴシアン、ジェフリー・デイヴィス氏と
シャトーオーナー4名との懇親会?に行ってきました。
参加者 ジェフリー・デイヴィス氏
シャトー・ベル・ヴュー(オーメドック) オーナー ヴァンサン・ムリエ氏
シャトー・ボーリュー・コント・ド・タスト オーナー ギョーム・ド・タスト氏
シャトー・フルール・カーディナル オーナー フローレンス・ドコスト女史
シャトー・ジョアナン・ベコ オーナー醸造家 ジュリエット・ベコ女史
他 京都のレストラン、バー関係者、ソムリエ、バーテンダーなど
食事をしながら各テーブルにオーナーさんがひとりづつ座っての進行表なしの懇親会でした。
(こんなんでええのん。なんて身近なんでしょうか。いえいえ、いつも僕らの会はこんな感じなんです。他では無いでしょう。たぶん・・・?)

ジェフリー・デイヴィス氏はサンフランシスコ出身のアメリカ人。
アメリカ人として初めてボルドー大学醸造学部を卒業。1972年にワイン・
ジャーナリズムのはしりとされるレ・ザミ・デュ・ヴァンを創刊。
その後に今やこの人の得点いかんで価格が左右されるというロバート・パーカーJrなどが続くことになります。
ボルドーにおけるネゴシアンとは、シャトーから瓶詰めワインを買い付け、輸入業者や問屋などに転売する仲買業者を指します。ネゴシアンは基本的には裏方の稼業であり、スポットライトが当たることはまずありませんが、デイヴィス氏はその例外。著名生産者に負けないぐらいの露出を誇る、ボルドー市場のスタープレイヤーのひとりです。
1990年代以降、サンテミリオンを中心とした右岸地区では、「ガレージワイン」と呼ばれる超少量超高価格の新しいワインが大量に出現し、急速に脚光を浴びるようになりました。そのムーヴメントの仕掛け人として、ヴァランドロー、モンブスケ、ラ・ゴムリー、キノー・ランクロ、グラシア、ルシアなどを発掘し世に出してきたのがデイヴィス氏です。オフィシャルな格付けに基づく階級社会となっていたボルドー市場に、こうしたガレージワインは「革命」を引き起こしました。
カリフォルニア生まれのデイヴィス氏は、アメリカ、フランスの両国でワインジャーナリストとして仕事をしたのち、1987年からボルドー地方でワインの売買を開始しました。同地方には現在400を超えるネゴシアンが活動していますが、デイヴィス氏のアプローチは非常にユニークなものです。
同じボルドーのネゴシアンでも、格付けワインを専門に扱う業者などは、「ファックスやメールでモノを右から左へ流すだけ」としばしば揶揄されています。デイヴィス氏の仕事は大違いで、それは映画や音楽のプロデューサーと、スカウトマンが合わさったようなものだと言えるでしょう。すなわち、無名ながらも野心的な造り手を足を使って見つけ出し、成功させるためにあらゆる努力をするのです。パーカーをはじめとするワイン評論家への売り込みや、国内外での販売プロモーションは言うに及ばず、造り手の領分である栽培・醸造に分野についてもデイヴィス氏は積極的に関与します。さまざまな助言を与えたり、ミシェル・ロランなどのコンサルタントを紹介したりし、場合によっては設備投資のための資金提供まで行います。デイヴィス氏は故エミール・ペイノー教授に師事し、アメリカ人としてはじめてボルドー大学醸造学部を卒業した人物でもありますから、造り手の視線も持ち合わせているのです。
[参考資料 山信商事より]
ジェフリー氏とは、5年ほど前に焼肉屋さんで網を囲んでボルドーワインを手酌で昼食会をした経験があります。
その時もすごくユーモア溢れる話しぶりでしたが、今回はさらにパワーアップしていて、ワインの説明も英語?フランス語?日本語?何がいい?ってな具合でした。
終始ジョークを飛ばしつつ、しっかりビジネスマンらしい説得力のあるオーラが漂っていました。
それと、来ていたボルドーシャトーのオーナーさん達も流石です。余裕が感じられます。
売り込みよりも、自分達を知ってもらうこと、相手を知ることが最優先で
この世界恐慌の中でも、そのときそのときを楽しむことを知っています。
日本人とは違う空気を感じました。
もちろん全部英語での会話ですので全て完璧に理解できたわけではなかったのですが
身振り手振りで自分の持っている英語力全てをフル回転させての会話でした。
やれば出来るもんです。何とかこちらの熱意は伝わったと思います。
限られた時間でしたが有意義な楽しいひと時を過ごせました。
佐賀牛のローストビーフも美味かった。


話に夢中で写真撮るの忘れてました。(食べかけですいません)
最後は 『今度会う時はボルドーのシャトーで!』とがっちり握手を交わして
A bientôt(アビアントゥ)
って、いつのことやら・・・?